ゆるり

まあどうせなら、たのしいことをかんがえよかな

このごろ思うこと

「あなたにその問題の責任はないけど、その問題は、あなたの問題である」ということがある。

 

「間違ってはいない」こと自体も骨の折れることだが、「間違っていない」というだけでは大抵十分ではない

 

あなたには関係のないことに対し、単にあなたが気に入らないという理由でとやかくいうのは、僭越というものである。

 

めし

人と飯を食うのは苦手だ。

 

というより、人と、一緒の時間を過ごすというのが苦手だ。

別に相手が嫌いという訳ではないのだが、間が持たない。息苦しい。

世の中で「この人なら一緒に飯をくっても苦痛でない」という人は、

家族を除けばホンの数人しか出現していない。

「この人と飯を食いたい!」と感じる人なんているんだろうか。

 

以前は、「協調性が無いと思われても難なので」と思い、

多少のことは付き合った。

けど最近は、「悪気は無いけど、仕事はおわったので、これで帰る。」

ってなことをするようにしている。

 

「一緒に楽しく飯を食おう」って言われても、

そもそも会食が楽しくないのだから。

ごめんね。本当に悪気はないんだ。

 

多少気分は悪いけど、一緒に飯喰っても、妙な場違い感で居心地が悪い。

だったらまぁ、好きにさせてもらうさ。

 

そういう自分をわかってもらった方が、お互い楽だ。

 

うなずく

前にも書いたけど、

人の話をききながら、芝居がかってるとも思われる程、すっごくうなずく人がいる。

「うん!うん!うん! そう!そう!そう!」みたいに。

そんなに人の話に感心したり、同調したり出来るものなのだろぉか。

情報としてだけでなく、感情も伝達されてんのか?

それとも演技?

おれは演技に一票だな。

そんなに無批判になれるとしたら、

1、そうとうに、なんというか、感動しちゃうタイプ

2、相手が言ってもいないことを拡大解釈しちゃうタイプ

3、自分が話す時も批判してほしくないから、聞いてるよ電波を発したいタイプ

4、そもそも何も聞いていないか、なにも頭にとどいてないタイプ

 

のどれかだとおもうけど。どうだろう。

「うざったいやつ」とおもわれているんじゃないかな?って状況が一番応える。

ストーカーみたい、とかね。

 

振り返ると、自分が、人のことをよくそう感じるからなのだろうと思う。

 

「じゃまだ、どけ」とか

「おれの時間を食うな」とか

「つまんないこと/どうでもいいことをわざわざ言うな」とか

「よくそんな下世話なことを考えつくな」とか

「言いたいことは、つまり〜なんだろう」とか...

 

私はぽかんとした顔をしつつ、こんなことをよく考えている。

だから人もそう考えてんのかと思う。

実際どうなのですか?

 

人の話を聞きながら、熱心にうなずいている人がいるけど

あれって、本当に本心で、無意識にやってるんですか?

それてとも「聞いているよ」というポーズ?

わたしはちゃんと話を聞いている時程、逆に動けないのだけれど。

 

結局、そんな私は群れの中にいるための適性がないのかな なんて思うよ。

 

わからないことが、多すぎる

何でなんだろうってこととか

なんとなく、かっこうをつけている

のもつかれたので

さいきんは、じぶんがポーズをとっているののに気がつくと

どんどんその原因をほおりなげる

たとえば、きになる女性とかね。




ぜんぶのぜんぶ

思いついたこと、決めたこと、それを全部はできなくてもいい。

全部やること、全部できること、は

目標じゃないし、それができても、別に偉くはない。

決めたことをやること、

それが考えることをやめてただ行動することであるなら、

実はそれは、単に楽をしているだけだ。

やり抜くことは苦しいが、考えないという点では楽だ。

常に考えたうえで、やり抜けること、実行し尽くせることがあるなんて

それは素晴らしい。