ゆるり

まあどうせなら、たのしいことをかんがえよかな

「あはは」と笑う

世の中、本当に致命的で受け入れがたいことって、あんまりない気もする。

殆どが、「自尊心が傷つけられたような気がするかもしれないようにも思ってるように見受けられる」ってな、実態すら怪しいことに還元できる。

たとえば、仲間が嘘をついたり、何かに遅れたり、なんてこと。多かれ少なかれ「なめとんのんか!」と頭にきて、がっかりして、寂しくなる。

たとえば、なにかが思うようにいかなかったり、思わぬことが起きたりなんてこと。多かれ少なかれ「なんでだよ!」と誰かに当たりたくなって、当たっても結局無駄で、空しくなる。

でも、考えてみれば、人の行動なんて、失敗なんて、自分自身にはあんまり関係なくて。それらは、自分の外側で起きたこと。結果は自分に影響するけどね。

自尊心を傷つけるのは、外側を眺めて、苦々しくおもった自分。自分をがっかりさせるのは、自分がどう感じたかという、感じ方の結果かも。自分を本当に傷つけられるのは、実は自分自身だけじゃないだろうか。

たぶん、痛みを伴う殆どの事は、自分が気にしなかったら、誰も気にしない事だ。こうした馬鹿げたことがおこったら、「あはは」と笑い飛ばすのはどうだろう。

誰も気にもとめない事は、起こらなかったのと大して変わらないじゃないか。