ゆるり

まあどうせなら、たのしいことをかんがえよかな

思わず反省しちょりました。

最近、ふと反省とか恐縮とかって何のためにしているんだろうとおもったん。

 

で、気がついたのは、私がやっているのは、反省ではなくて、自分の思い通りにならなかった自分を精神的に責めて、虐めること。罪悪感を自己生産することなん。

わたし@尊:「うらぁ! こんなんじゃ、だめじゃねいかっ!」

わたし@卑:「す、すいませぬ...至らぬわたしをゆるしてくだせぃ(しおしお)」

というのを独りでやってる。こりゃぁ反省じゃぁねいな。

で、しおしおとしていることを、要求を満たさなかった、失敗した自分にはふさわしい姿と思っていた。度がすぎると、失敗とか無くても、のっけからシオシオモード。

「こんなわたしなんですけど... いいっすか?だめっすよね?(しおしお。わたしのことを気に入らねぇ奴とおもわねいでくだしゃい 。)」

 

んでね、最近ふっきれたというか、諦めたというか、なるたけ直面する様にしたん。

相手が自分を好ましく思ってくれるかどうかは、知らんし、思ってくれなかったとしても、困ってしまうことは無いから、ほっとけと。しかたないやん、悲しいけど。

物事がうまくいくかどうかなんて、わからんし、ましてや、やっちゃったことって、もう考えても遅いやん。どうにもならん。無理なん。自分でもどうにもならんことは考えても、自分を責めてもしかたないやん。責めても変わらん。金欠あいてに金返せいってるようなもんだよ。ねぇものはねぇ。反省のために正座してても足がしびれるだけで、単に罪悪感を満喫できるだけ。

 

で、「靴下理論」

罪悪感を持っても・持たなくても、臭い靴下が、良い香りになったり、なんて奇跡的な変化はない気がする。罪悪感に何かを変えるパワーはありそうにない。

臭いからって爆死すっかといえば、大丈夫。死なない。涙はでるかも。「失敗は死を以て償う。」なんつーハードボイルドな秘密組織の構成員じゃないからさ、「臭いんです。洗濯じゃ。」と早めに言うのが楽。

臭いことそのものはピンチじゃない。「臭い」のをを我慢していて泣きそうになってるのが、じわっとピンチ。知らんぷりして熟成した靴下くんを「きっと、よひかおりなんです。」と言い張ることもできるけど、辛ぇ道だ。

 

しおしおとしていると、誰かが気にかけてくれるかもしれない。なにかくれるかもしれない。それでなにか得をすることが出来るかもしれないけど、それってお目こぼしということだねぇ。それこそ卑屈で自分を蝕むような気がする。

 

じゃぁどうするか。

失敗の理由がちょっとわかったら、用はねぃ。

空気吸ってぇ、はしれ!はしれ!はしれぃっ!

 

40+にして、そんなふうにおもいまふ。