絵に描いたような
高校のころから、「絵に描いたような幸せ」とかって、なんだか嫌いだった。
テレビに出てくるような仲の良い家族とか、カップルとか、いろいろね。どうも気に入らなかった。なんだか嘘や作り話で塗固められた物のよう。安っぽい感じも嫌だし、「ああ、どっかで見たことあるね。」という感じもね。
まるで、知らない国のハデハデな色のお菓子。
甘そうで、すこし薬っぽい匂いがして、たべると舌が面白い色になる。そんなイメージが私の「絵に描いたような幸せ」。
無理してガンパって手に入れる、見た目だけすごくいい何か。何なのかはわからない。きっと、こまったことが裏にあるに決まってるんだと思ってた。
内心うらやましいと思ったかもしれないけど、自分もそうなるために努力します、という気にはなれなかった。理想は、遠くて遠くて決して届かないから、努力する気にもなりませんということだったのかな。なんだかそうやって、ニヒルぶっていたのかもしれない。
もしかして、「絵に描いたような」なんて言うから、気持ちがねじれてしまうのかな。
これといってどこにも力が入ってなくて、とくに何かを意識していなくても穏やかに日々が過ぎていく。面白いなと思うような絵が見られたり、描けたり。別に無理しなくても、我慢しなくてもつきあえる人たち。目標とか戦略とか、そういう無理に何かを狙い澄まさなくても持ちこたえられる生活。
そんなかな、わたしの幸せってのは。
「そんな風になれるかも」といった漠然とした期待もなかったけど、
そういえばそもそも「どんなことがあなたの幸せなの?」って折り入って自分に尋ねたこともなかった。
大人の誰かに「私の幸せとはー」なんて説明するような恰好つけた答え方ではだめかもしれない。まるで、小さい子に「なにしてあそぶ?」と聞かれて、それに答える様に答えられないと、だめなんだろう。
でも、そんな答え方ができる幸せは、どうやって描いたらいいのかな。
酔っぱらったら描けそうなきもするけど、あいにく飲めないんだな。全然。
飲めば、頭痛と嘔吐で、そこは暗黒世界。
シラフの世界しか無い私には悟りの道はとおいかな。