ゆるり

まあどうせなら、たのしいことをかんがえよかな

だれかが私にイジワルするんじゃないかって

世の中いる結構な割合の人は、私に対してイジワルをするんじゃないかなって

いろんな時に思った。

物理的なイジワルじゃなくても、見下されたり、笑い飛ばされたりってあるんじゃないかなってずっと思っていて、それに負けないように、負けそうならその場からすぐに逃げ出すように、頑張ってきた。

 

でも、最近思うのだが、

人につまらないイジワルをできるほど、余力のある人はあまりいない。

イジワルって結構大変なんだ。

まず、それをやったり考えたりする暇と時間があること。

人から批判されないように、上手くイジワルをやること。捕まらないこと。

イジワルをしても、自分は少なくとも損はしないこと。

イジワルしてる本人のメンタルが折れないこと。

意外と大変だ。

 

なんて無駄に厳しい条件をクリアするなり、

クリアーできないけど怨念を満たすために敢えて実行するなんて、

相当根性があって、その根性がしっかり歪んでいないとなかなか出来ないよ。

もちろんこういう無駄を楽々出来てしまう頭のいい人もいるかもしれないけど、

頭のいい人であれば、これが如何に無駄で、ともすると自分にもダメージがあることか

気づくと思う。

 

会社や学校って、こういう無駄が割と楽々とできる場合もあるのだけれど、

結局コスト的に割にあわないと思う。組織全体をみるとね。

それにつきあうのもいいけど、正常に機能していない環境に、

ずっとしがみつく価値ってどのくらいあるんだろうって考えると、

まぁご苦労さんって感じがしてくるんだ。

 

そう考えた時、本気のイジワルってなかなかあり得ないなと思う。

自分さえしっかりしていれば、どの環境を選ぶかオプションは必ずある。

一番大事なことは、冷静になって、ちゃんと考えること。

イジワルの雰囲気に押されないこと。

意外とちゃんと考えれば大丈夫だ。道理はそうそう曲げられない。

あとは黙らないことかな。

 

相手も世の中の制約の中にいるんだから、そんなに好き勝手なことはできないさ。