ゆるり

まあどうせなら、たのしいことをかんがえよかな

思う通りにいかないんだけど

ソフトウエアを作る仕事をしていたのものあって、

思った通りいかないと、とってもイラつくのが性分だったりする。

でもさ、

別に最初に思った通りになんなくても、いいの。

世の中、思う通りにいかないのは、そもそもだし、

逆に思う通りいってたら、のちのちヤバかったなんてこともあったりで。

 

とりあえずはなんとかなる、という感じか。

Tシャツは裏返しだし、パンツは前後ろ ってな感じなんだけど、

気にしなきゃ、まぁなじんでくるもんだよ。

 

 

 

 

 

守備範囲

かつてIT系にいただけあって、デジタル画像の数理的な意味合いについては

多少の理解があると思う。

で、今日デザイナーさんとはなしたら、別にそんな小難しいことは知らないし、

なんとなくピンぼけな話も少々。

職歴的には先輩さんなので、「あー。そうっすかぁ。」と聞いていた。

それぞれ守備範囲ってあるなとおもった。

別に効率や理論だけで生きる必要は無くて、

(そういうひとはいるけど、楽しそうじゃないよね)

知る必要の無いことを、知ってても邪魔なだけだったりする。

 

ただ、その守備範囲が多少因習的な理由で決まっていて、

「何故そうするのか理由はわからない、問わない。昔からそうしてきたし、

それで問題ない。」というのなら、

ちっと踏み込むと自分が一体何のことを言ってるのかとか、わかっていいのにな、

と思う。

 

情熱だとか技だとかを陰で支える「つまらん理屈」は

意外と守備範囲の近くにあるんだけど、時に、余りに遠くに見える。

 

なぜって、メンドクサそうだから。

 

 

 

カメラ

チョット前にカメラを買った。

月収が15万という、ともすれば生活保護レベルなんぢゃぁないかというころに、

8万ぐらいの一眼レフを買う奴も買う奴だという話もあるが、

まぁ、それはそれとして。とにかく買った。

それで自分の手を撮って作ったポスターがどこぞに入選したり

山奥にいって撮ったスポーツ選手の写真がそこそこ好評だったり、日当がでたりで、

まぁ、なんとかモトはとったか。

おせじまじりで「カメラマンもできるね」なんていわれたりしてさ。

気分もいいさ。

この二つのためだけでも、連写しまくり。ゴミも含めて、1000枚ぐらい撮った。

てか、ゴミが970枚ぐらい。

 

数打ちゃあたるってぇなもんか。その通り。

でも打たなきゃ、一切当たらん。

まぐれも実力のうち。

そして、まぐれは数から生まれる。(笑)

 

そして、そして、数を1つでも打つためには、考えるより、打ちにいく必要がある。

 

 

かりっと怒る

なんや知らんが、やっぱり自分の作った物に、何か言われると

こぉ かりっと怒るというか、腹立つ。

自分が足りないときでも。(笑)

なんだろこの反発心というか、イライラした感じは。

 

でもまぁ、いろいろ人それぞれだし、持ってるモノも持ってないモノも違うし。

 

それに、考えてみれば、全然イラッとこなければ、

モチベーションが無いとかこだわりが無いとか別の問題があるわけで。

 

そういう意味では機能してるかな。

 

まぁ人の文句から、拾えるものは拾うとして。さっさと自分のやることをやろか。

うらやましくても他人にはなれないや

周りには、すごいなーという会社に勤めていたり、

経済的に恵まれていたり

まぁうらやましい人が沢山いるけど、

同じように本当になりたいか? と聞かれると

「うん」とはなかなか言えない。

たとえば、金融関係とか医療関係とか公務員とか

これらが自分には出来ないし、

やってて自分は楽しめないだろうと思うんだ。

そう言う意味で、世の中バランスはとれてると思う、

といえば思う。

 

最近のテーマは「致命的なんて嘘じゃん」ということ

思った通りにならないと、イライラしたり絶望したりするのだけど

なかなか致命的にはなってくれない。

もちろん自分から「致命的になれっ!」と望めば別だけど。

意外と世の中は頑丈にできている。

頑丈だけど完璧ではない、ってところだろうか。

完璧であればそれは素晴らしいけど、

とりあえずなんとか機能するというのも素晴らしい。

 

私もそうだ

完璧にはほど遠いんだけど、時々、なんとか機能する。

ボロいテレビみたいに、「なっかなか壊れきらないんだよね」という

ところがいいんだろうね。

 

 

だれかが私にイジワルするんじゃないかって

世の中いる結構な割合の人は、私に対してイジワルをするんじゃないかなって

いろんな時に思った。

物理的なイジワルじゃなくても、見下されたり、笑い飛ばされたりってあるんじゃないかなってずっと思っていて、それに負けないように、負けそうならその場からすぐに逃げ出すように、頑張ってきた。

 

でも、最近思うのだが、

人につまらないイジワルをできるほど、余力のある人はあまりいない。

イジワルって結構大変なんだ。

まず、それをやったり考えたりする暇と時間があること。

人から批判されないように、上手くイジワルをやること。捕まらないこと。

イジワルをしても、自分は少なくとも損はしないこと。

イジワルしてる本人のメンタルが折れないこと。

意外と大変だ。

 

なんて無駄に厳しい条件をクリアするなり、

クリアーできないけど怨念を満たすために敢えて実行するなんて、

相当根性があって、その根性がしっかり歪んでいないとなかなか出来ないよ。

もちろんこういう無駄を楽々出来てしまう頭のいい人もいるかもしれないけど、

頭のいい人であれば、これが如何に無駄で、ともすると自分にもダメージがあることか

気づくと思う。

 

会社や学校って、こういう無駄が割と楽々とできる場合もあるのだけれど、

結局コスト的に割にあわないと思う。組織全体をみるとね。

それにつきあうのもいいけど、正常に機能していない環境に、

ずっとしがみつく価値ってどのくらいあるんだろうって考えると、

まぁご苦労さんって感じがしてくるんだ。

 

そう考えた時、本気のイジワルってなかなかあり得ないなと思う。

自分さえしっかりしていれば、どの環境を選ぶかオプションは必ずある。

一番大事なことは、冷静になって、ちゃんと考えること。

イジワルの雰囲気に押されないこと。

意外とちゃんと考えれば大丈夫だ。道理はそうそう曲げられない。

あとは黙らないことかな。

 

相手も世の中の制約の中にいるんだから、そんなに好き勝手なことはできないさ。